高レベルの思考は「母語」でしかできない。

「母国語」という言葉はもはや死語となってしまいました。
幼少期より習得してその人の思考をつかさどっている言語のことを「母語」と呼びます。
どんな言語においても「母語」を表す言葉は存在しています。
たとえば、「母語」という言葉を英語で見てみると mother tongue(マザータング、直訳すれば「お母さんの舌」)ということになります。
そしてどの言語を見てみても「母語」を表す言葉には「国」を意味する言葉は含まれていません。
唯一、日本語だけが「母語」を表現するために「母国語」という言葉を使っていたことになります。
もう二度と「母国語」という言葉が前面に出てくることはなくなるでしょう。
2000年を前に2月21日が「国際母語デー」として制定され、言語による団結のために失われた多くの命を悼みながら「母語」の大切さを改めて考えることができる日として設定されています。
バイリンガルは理論上のものであり、二つの言語を「母語」としてを持つことは実際にはあり得ないことが分かってきました。
バイリンガルとしての第二番目の言語はしっかりとした「母語」(第一言語)によってこそ理解できるものであり、「母語」の習得度の高さがそのまま第二番目の言語の習得できる能力に比例することとなります。
日本語は中国語と並んで世界でも習得に最も時間のかかる言語だと言われています。
どちらの言語でも「母語」として身につけていても義務教育を修了した程度の言語習得力では日刊新聞の記事をきちんと理解できるレベルにもなっていないことがそれを物語っているかもしれません。
反対に、英語を「母語」として身につけている環境においては小学校低学年程度の言語習得で十分に日刊新聞の記事をきちんと理解できることができるようです。
さらには、高度の思考は自然と母語でしか行なわれていないことが明らかになっています。
つまりは、「母語」以外の言語を習得するという活動はもちろんのことあらゆる思考活動が「母語」によってなされていることになります。
「母語」以外の言語であってもその習得レベルによっては十分に思考活動ができるようになりますが、そのレベルはどこまでいっても「母語」による思考活動には及ばないものとなっているのです。
「母語」をしっかりと磨き上げることが一番必要なことのようです。